「人」と「宇宙」は切り離せない、大きなリズムで生きています

水の祖形運動は蛇行です。川を整備せずに自然に任せていれば、蛇行をしながら海に向かいますよね。右に行き、左に行き、時には渦を巻きながら流れていきます。人の心も同じで、縁するごとに喜んだり悲しんだり、泣いたり笑ったり怒ったり、水が蛇行するように気持ちも蛇行していきます。そして人間が水をまっすぐ流そうと水路を作ります。しかし水路の中でも水は悠々と蛇行しながら流れていくのです。どんなにまっすぐで細い水路を作っても、蛇行しない水はありません。

人も同じです。その蛇行する心を自分が受け入れるかどうかで精神の落とし所が決まってきます。水はそのままですが、人には脳という厄介ですばらしいものが備わっていますから、さまざまな問題が出てくるのです。赤ちゃんは普通、満潮時にお母さんのおなかから生まれてきます。そして、干潮時に人は息を引き取りやすいのです。自然に即して生きていれば、この自然の流れに乗って産まれて来れて、死んで行けます。そこに矛盾がない限り人は楽に死ねるのです。

この世にある全ての個体は、一度必ず液体を通って固体となります。人も卵子と精子という液体から始まるように、全てのものは液体を通らなければ固体になれないのです。全ては海から来ているということに繋がることだと思います。そして、人の呼吸は1分間に約18回息を吸い込みます。これを1日に換算すると約25,900回吸い込むことになります。春分点が獣帯の巨大な環をひと巡りするのに約25,900を要するのです。

さらに、18回の呼吸ごとに72の心拍数があり、これは1対4の比率を保っています。人間以外の自然界においても同様の比率がどこにでもあるのです。音の伝播の速度は、水中において空気中の4倍早く、その水が海水になればより正確さを増します。そして、地球全体の水分量は約70%で、人間も全体の70%が水分でできています。自然学の研究者によると、地球の代謝と人の代謝はまるで同じ。ということです。

人間の胎児は2ヶ月ではまだほとんどが液体で、その後、各器官の個別形態を作りだしていきます。その人の体内にある各器官は、自然界で作りだされる形にそっくりで、水の流れが作り出す渦巻状の貝や川の激流が作るその場所から移動することのない球体、左右対称に渦を巻く流れをはじめ、血管はまさに蛇行を繰り返して人が生きるために必要な場所へと伸びていきます。自然界と人間の身体、そして心も同じ形態を辿り自然を受け入れるか否かでその伸び率は断然違ってきます。

川の蛇行から始まり、木の根、枝、葉の葉脈まで蛇行や左右対称で出来上がります。人の毛細血管や木の幹は水の流れと同じ要領で伸びてゆき、風の流れも砂丘の風後をみれば、水が残す水後と同じ模様を描いています。それは雲も同じで、それら全てを理解すると、まったくもって全てがリングのようにつながっていることを認識せざるを得ないのです。絶対的な自然の流れを認識してしまうと、逆に、足元の食事の大切さに気がつきます。

さあ、これからは粛々と食事を作り、食べ、社会へ出かけていくという生を笑顔で実感し、病院はたかが人が作ったシステムのひとつにすぎないと思い知らせれることになるでしょう。しかし、現代に生きていることには違いないのですから、それらを達観しながら充足した毎日を手塩にかけた食事を基本に送りたいものです。