自然と添加物の味が「嫌な味」として認識できるようになる不思議

人の感覚はすばらしいもので、自然食を続けていると、添加物の味が嫌いな味として認識できるようになります。自然食とは、なるべく食物を自然の形で食べるということで、白米よりも玄米、根菜類はなるべく皮のまま食す、全ては旬の時期のものを口にし、住んでいるその場所でできたものを選ぶ。それは水も同じ。そして全ては無農薬で自然の力で育ったものが一番なのです。しかし、突然全てをそのような変えることは不可能で、できる時にできるだけすればいいのです。気持ちだけは、自然食が良いのよね‥と心にとめておくと、その時期が来た時にチャンスを逃さず掴めます。

その過程で気がつける人は気がつきます。添加物の嫌な味。常々アイスクリームが嫌いな自分を不思議に思っていました。甘いものは好き。冷たいものも好き。だけどアイスクリームは嫌い。大人になって理由を考えると、喉に貼りつくねばねばした感じが異様に気持ち悪かったということに気がつきます。そしてフレンチレストランでランチをしたとき、「デザートは○○ケーキとアイスクリームのプレートです」と説明されました。「アイスクリーム抜きでお願いします」と伝えるとオーナーシェフが出てきました。アイス抜きの理由を聞かれたのです。

そんな事は初めてでした。するとシェフ、作り置きのアイスクリームは増粘剤が入りますが、うちのは作り置きはしませんから大丈夫です。という説明でした。「ゾウネンザイ‥。増やすネバネバと書きますか?」「そうです。」まさにそれ!という発見。食べてみると美味しいことといったらありませんでした。シェフは満面の笑み。本物を追及しているシェフも喜んでくれたようで、とても嬉しかったものです。そこで添加物が異物だと気がつく自分、添加物に頼らない本物の職人、素直に発言する発展性、そこで広がるコミュニケ―ション。

ほんの1時間余りのランチで、さまざまな経験と認識を得ることができました。これも自分の正直な感想を認めてもらえたことで、低かった自尊感情が高められた瞬間でもあったと思います。こうやって人は、何気ない事からも成長できるのだと実感した経験でした。やはり食事という時間がなければそれは生まれなかったことです。そのフレンチレストランは、住宅街の中にあるにもかかわらず、バブルの時代からもう何十年も営業しています。

そこに来ている他のお客さんを見てみると、一人で来ているお年寄り、話を聞くとドクターだったらしく、シェフの健康相談に乗っていました。その日のお客さんは、老婆の元ドクターと私たち、それからおじいちゃんと孫娘の二人連れだけでした。店内には穏やかな空気が流れ、落ち着いた雰囲気でした。フレンチを食べに来ている気負いのある人はおらず、心地よい空間だったことが今でも忘れられません。

わたしの連れだった友人二人は、主婦でしたが何も感じない。ただ美味しいと言っていました。添加物の味が嫌な味として理解できたのも玄米食や無農薬にこだわりを持っていたからだと思います。ガチガチのこだわりは必要ありません。ただ少しだけ、気をつけてみると徐々に嫌な味が増えていくことに気がつくと思います。